はらぺこの日常。

おなかのなかをつらつらと。

「透明な殻で自分を守るんだよ、おなかちゃん。」

おひさしぶりです!おなかすいたよ。です。

 

最近激務に激務が重なり、見事にダウンしてましたorzさすがに「ゲームが楽しくない」ってなった日は早く寝たり、長風呂をしてみたりで無事復活!と言いたいところですが、すこーし曇った感じが取り除ききれない今日この頃です。

 

さてさて、本日はことあるたびに思い出す、小学生の時の恩師の言葉、

「殻は殻でも透明な殻で自分を守るんだよ、おなかちゃん。」です。

 

 

「自分の殻にこもる」「殻をやぶる」など、自分の心に関することを表すときによく出てくる表現。「殻」。

 

自分自身を守るための殻、誰でもあると思うのですが、そんな殻に関するエピソード。

 

当時小学生のわたしは、なんだか誰にも自分のことをわかってもらえない気がしていて、自分の殻に閉じこもっていました。多感な時期だったんだと思います。あとは思い込みも激しかったんだろうと思うのですが、

当時の私は

「なんでニュースで見る人たちは、ダメって言われてることをやっちゃうんだろう。ダメなんだからやらなければいいのに。」「なんで人が傷つくとわかっているのにいじめるんだろう。自分がされちゃいやなことをなんで人にするの?」「どうせ死ぬのになんで勉強したり遊んだりするんだろう。どうせ死ぬなら今なんて意味ないじゃん」

なーんてことを考えてたと記憶しています。

 

私にとってはいたって真剣。だけど、忙しい親や教師にとっては「ま~た変なこと考えてる。子どもの考えることだからどうせあさはかでしょ。」と受け取られていたような気がして、悩んでいることを話してもあまり受け止めてもらっている気がしませんでした。

(今となると忙しさもわかるし、ちゃんと考えてくれた上での言葉をくれていたんだと思うんですが、「どうせ大人は子どもの私の話を聞いてくれない」と思いこんじゃってたんでしょうね・・・)

 

そんなこんなで、

「私は生きててもしょうがない子なんだ」っていう思い込みの殻を身に着けることで、「わかってもらえない」苦しさから自分を守っていたんだと思います。きっと。

あとは「どうせだめだから」っていう殻とか。

 

そんな中で出会ったのが小学校6年生になったときの担任。今でもやりとりはたまにする方で、わたしが小学校の先生を目指すきっかけとなった人です。

 

その先生のエピソードもたくさんあるので、いつか書けたらいいなと思うのですが、ふわっと紹介すると、

面白い先生で、教室の後ろには先生お気に入りの漫画を置いていたり、ピアノの代わりにアコースティックギターを使って音楽の授業をしたり、休み時間には我先にと子どもたちよりはやく運動場に出てサッカーをしていたりする先生。

大人からすると賛否両論あるけれど、子どもたちからは大人気の先生でした。

 

今でもあのときの風景が目に浮かぶのですが、あまり人と関わりたくなかったので、休み時間はよく屋上に続く階段の踊り場で床とにらめっこしながら時間をつぶしていました。

ある日、階段をあがってくる音がして、「え?こんなところに?」と思っているとそれは担任でした。それがすごくうれしかった記憶があります。

 

「なにしてるの~?」という先生の一声から、「聞いてもらえるんだ」と思ったわたしは、今まで飲み込んでいた疑問を先生にぶつけました。休み時間だけじゃなく、授業の時間に食い込んでまで話したこともあるのですが、先生は全部応えてくれて、それはお手本のような言葉じゃなく、わたしを子ども相手ではなく一人の人間として向き合って話してくれたような感覚があってもうそこから心を開くのはあっという間でした。

 

(今思うと大変だったと思うけれど、あのとき根気よく向き合ってくれたからこそ今の私があるので本当に頭があがりません)

 

いろいろ話したことはあるのですが、その中でも一番心に残っているのが

「透明な殻で自分を守るんだよ、おなかちゃん。」です。

 

まだ先生の言葉で直接答えを聞いたわけじゃなく、当時から今にかけて「透明な殻ってなんだろう」とずっと考えてはいるのですが、「透明な殻」について今私が考えるのは

 

・殻を作って自分を守るのは悪いことではない。自分を守るために必要なもの。

・ただ、濁った殻だと、自分の心がわからなくなってしまう

・透明な殻でかつ、とげがなくてつるっとしているといいよね(自分を守るためであって他者を攻撃するための殻ではない

・透明な殻を作るには自分の心に素直に向き合うことが大事

・自分の見たくない嫌な部分もひっくるめて自分だと認識すること

・透明な殻であるほど、他者のことも許せることが多い

 

あたりかなあと。漠然としたイメージなので、言語化が難しいですが。。。

なんとなくですが、図星のようなことを言われたとき、「そんなことないし!」って反発したくなるときは殻が濁っているとき、「いかんとこ出たなあ…ごめんね」って思うときは殻が透明なときなのかなあと思ったり。必ずしもそうではないけれど、なんとなくのイメージです。

 

この透明な殻について、おそらく死ぬまでずっと考えると思うし、先生に聞いたとしてもきっと先生の中でもいろいろ変わっていくものだと思うので、5年後10年後にこのブログを開いたらきっと面白いんだろうなあと思います。このことについてに限らず。

 

そんなお久しぶりのブログでした!

明日お仕事やら学校やらやることある人はぼちぼち頑張りまひょ~。お休みの人はたんまり休んでくだされ。

 

それではまたの~。