こんばんは!おなかすいたよ。です。
今日はなんやらかんやらおかげさまで乗り切ることができました・・・ボス戦が終わったと思ったら第2形態第3形態があった感じでなかなか濃い1日でした!ひょえ~
ということで、昨日の「怒」についての向き合い方から派生して、今日は「気持ち」について思うままにつらつらと書いてみようと思います。
今更ですが、ブログの構成についてあまり考えておらず、うまく書こうとせずにまずは思うままに書いてみようとトライしているので、わかりにくいところが多々あると思います・・・orz
まずは続けてみること、納得いかなくても一旦形に残そうという魂胆です。この人。
思考垂れ流しブログ(たまに🦔)ですが、読んでくれる方がいることに改めて感謝です。ありがとうございます。
それではどうぞ!おなかのあたまのなかです!(カパッ
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「気持ち」→「思う」ことについて
一時期「こうあるべき」という自分の考え方にがちがちに固められていた時期がありました。
こういうときは「うれしい」と思わなきゃいけない。
こういうときは「かなしい」と思わなきゃいけない。
こういうときは「さみしい」と思っちゃいけない。
こういうときは「たのしい」と思っちゃいけない。
ぜーんぶ「そうしなきゃいけない」と思っていました。当時はそうしないと正しい人じゃなくなる感覚がありまして。(正しいとはなにかはさておき)
「思う」ことをひたすらコントロールしようとしているうちに、自分を否定することもどんどん増えていきました。
「こういうときはかなしいと思うべきなのに、なにほっとしてんの?最低じゃん」
「こういうときはうれしいと思うべきなのに、かなしいんだ。冷たいね。」
そんな脳内のやりとりを繰り返しているうちに、最終的にはぼーっとするようになりました。なにもうれしくないし、なにもたのしくないし、なにもかなしくないし、なにもさみしくない。なーんもない。
ぽっかり空いたところに、小さい時からねっこにあった「自分はいらない子じゃないのか」という気持ちがここぞとばかりに侵略してきていた10~20代でした。もちろん楽しいこともたくさんあったけど、くら~い気持ちのパワーは強くて、だいたい塗り替えされていたような気がします。
今思うと、必要とされる子になりたいから、正しくあろう。とか、ちゃんとしよう。とか考えていたのかなあ。でも、そんな人にはなれそうもない、そんな自分が嫌いで許せなくて追い詰めていたのかなあ。と思ったり。
そこからはいろんな助けやきっかけが重なって(このエピソードたちもいつか書きたいな)、ちょっとずつ元気になっていきました。そんな時期を経て今思うのは、
「思う(気持ち)」は自然とわいてくるもので、変えるとしたら「考える(思考)」なんじゃないかということ。自分が思ったことに罪悪感を覚える必要は無くて、思ったことをどう処理するかを考えることができたらいいよね。というのが現在のおなかです。
そこから気持ちがすごく楽になったし、自分のいろんな気持ちに素直に向き合えると、人の気持ちに対しても受け止められる範囲が広くなったように感じます。決めつけが無くなったのも影響が大きいのかなあ。
常に自分を監視してなにかあれば首をしめていたときから比べると、今の私は本当に楽しいし、おだやかな時間が増えた気がします。
当時のわたしに「もう大丈夫だよ~。きみが想像できないくらい楽しく過ごしているよ。見たくない部分は無い。嫌なとこなんて無い。というと嘘になるけど、汚い部分もひっくるめて自分のことを好きだと思ってるよ!びっくりじゃね?」と言ってあげたいなあ。
・・・ハッ
書いてるうちにもうこんな時間になっている・・・だと・・・?(´・ω・`)寝なきゃ
相変わらずまとまりのない文章ですが、読んでいただきありがとうございました!本日はこのへんで・・・どろん!
それではまたの~。